ホーム » 連載コラム » 住まいと子育てを考えるお部屋 » 第5回「誰かがそばにいる感じ。」

2008年6月18日 水曜日
我が家には、仏壇も神棚もありません。
子どもが幼稚園のころ、たまたま通った幼稚園がお寺の中にある幼稚園で、門をくぐる時、門を出るときなど、手を合わせて
『おはようございます』
『ありがとうございます。さようなら』
のご挨拶を自然にしていました。
そんな娘は、自然と何にでも手を合わせ感謝するように育っていったように思います。
当時の園長先生は「我が園は徳育に力を入れています」とおっしゃっていたけど、なるほどなあーと思いました。
しかし、子どもたちも幼稚園を卒園し、普通に生活していると、生活の中で「手を合わせる」ということが少なくなってきた、と思います。
いただきます、ごちそうさま、の時にだけ、かろうじて(これも親が見ていないと、口先だけになってしまっている)合わせる程度。
でも、こうして「目に見えない何か」に手を合わせ、感謝し、つながっている感を持って育つことは、子どもの育ちにとってとても大切で必要なことではないかと思います。
たとえば、誰も見ていないところで、ゴミをポンと道に捨てる。
誰も見ていないからといって、だれかをいじめたり、他人の物を盗んだり…。
そんな心が芽生えた時
「お天道様(おてんとさま)がみているから」
「御先祖さまが見てるから」
というブレーキの働きをする「目に見えない何か」の力はとても大きいのではないでしょうか。
家に仏壇や神棚がある家庭は、毎朝お水やお花をあげることで、自然に「目に見えない何か」の存在を感じ、その存在が自分を守り、また正しい道へと見守ってくれていると感じるようになるのではないか、と思います。
しかし、我が家にも手を合わせる対象がありません。
実家にかえった時に仏壇に手を合わせたり、彼岸などにお墓参りで手を合わせるだけで 「日常の生活」の中で、感謝したり、見守ってくれている感を育てる機会がないのです。
そこで、私流に考えだしたのが、自分を守ってくれている木、の存在。
我が家は子どもが生まれた時に記念樹を植えています。
長女は金木犀、次女はハナミズキ、長男は夾竹桃(きょうちくとう)。
それぞれの誕生木を、自らを守ってくれる存在として意識し、語りかけるようにしてみました。
木に向かっておはよう!と声をかける。
この木は離れていても、どこからか自分を見ていて、守ってくれている。
そうご先祖様たちのように…。
そんな気持ちで、毎日庭の木と話をしていると、きっと、何か迷ったり逸れたりしそうな時にいつも見守ってくれているこの木に恥ずかしくない自分であろう、とするのではないかと思うのです。
親ができることには限りがあります。また子どもも親だからこそ反発し、反抗する時期があります。
そんな時、「見えない何か」の存在は大きな力を発揮するのではないでしょうか。
そんな期待を込めて、我が家には誕生記念樹を大切に育てているのです。
皆さんの家庭で、仏壇や神棚がないご家庭はせめてベランダや屋内ででも、近い存在に感じる自然を育ててみるのはいかがですか?
(写真):息子の誕生日の季節に花をつける夾竹桃(きょうちくとう)
NPO法人わははネット 「香川の子育てをもっと楽しく!」をモットーに活動する全国からも注目を集める子育て支援団体。子育て情報誌の発行や商店街の空き店舗を活用した子育て広場の展開の他、全国子育てタクシー協会の立ち上げや、アルファウィズブランドの立ち上げなど子育て当事者の声をダイレクトに企業に伝えるパイプ役として一躍を担っている。 |